自転車との出会い スイス奮闘中編
スイスの冬の寒さとマヨルカ島での走り込みの疲労からか、
風邪を長引かせてしまった春先。
仕事を辞めて海外に行っているので、時間だけは十分ある。
時間が有るので、つい走りに行ってしまい、風邪がぶり返すという悪循環。
正直、レースはうまく走れないし、風邪は治らないで良い春先ではなかった。
4月、5月と暖かくなってくると調子も上がり、着に絡めるようになり、
また、現地での友人もできて、リラックスして競技ができる環境になってきた。
特に友人の中でもマルチェルロは特別で、もう、連日のように夕食に誘ってくれたり、
一緒に練習に行ったりで、とても世話になった。
彼がいなかったら、競技だけの味気ないスイスでの生活だったと思う。
数多くの出場したレースの中で忘れられないレースが有る。
地元で行われたGiro del Mendrisiotto。
これは、地元チームとしてぜひ勝ちたいレース。
レースは3分程度の丘越えが有る周回コース、1周十数キロぐらいだったか。
特別なミッションは与えられず、自由に走らせてもらう。
この日はとても調子が良く、2周目ぐらいで丘を越えている時に後ろが
バラバラになっているのに気が付くが、決断が付かずに下りで合流。
3周目に登りで上げると一人になったので、そのまま逃げに突入。
チームカーを従えて逃げる。
下りも市街地もぎりぎりのコーナーリングで攻める。
その後、追ってきた同じチームのマフィと交代して更に逃げる。
残り3周ぐらいで、マフィから遅れてしまい、一人集団との間で粘る。
そして何とか70キロほどを逃げ切り2位ゴール。
3位もチーム員が入り、ポディウム独占。
●なんかちょっと太って見える。謎のアジア人ぽい。
2位とうれしいことに、最も攻撃的だった選手に贈られるCombattivo賞ももらえた。
このCombattivo賞のカップは2位のカップより立派。
2位という着順よりも、よりアグレッシブなレースをした人をリスペクトする。
レースへの考え方の違いですね。
●左側がPiu' combattivo、右が2位のカップ
この入賞では7万円位の賞金をもらったはず。
お金はすぐに監督に渡して、監督の”神の采配”で選手に配られる。
まとまったお金を自分の脚で稼いでる感覚。
なんだか、しばらくの間、うれしかったのを覚えている。