自転車との出会い スイス奮闘前篇

 

スイスの言語はは大きくは3つに分かれている。

フランスに近い西部はフランス語圏。中北部は最大勢力のドイツ語圏。

スイスを南部を東西に貫くスイスアルプスを境に南側がイタリア語圏。

わが町Chiassoはイタリア語圏でイタリア文化圏。

そして、気候もアルプスの南部で暖かく陽気なはずが・・・

 

スイスにたどり着いたのが、1月の中旬だった。

時差、緯度の関係で、よく覚えていないが、朝は8時か9時ごろまで暗い。

そして、連日続く悪天候。

言葉しゃべれない、暗い、雨降り、寒い、道解らないで、三日目ぐらいに

色々整理がついて、練習始めるまでは結構欝な気分だった。

ホームシック。

スイスに行く前から、大門先輩に言われていたこと・・・

『練習しなくてもいいから、言葉の勉強しておいた方がいいよ』と。

スイスに行っても、チームに属し、監督の言う事を理解し、

試合に出なくてはいけない。

そして、衣食住の全てにおいて言葉は不可欠。

生活の安定なしには自転車選手としての安定は計れない。

一人で海外で頑張ると言う事はそういう事。

”海外で走れば強くなる”って簡単にいうほど現実は甘くない。

日本でできない人は海外に行ってもできない。

日本でできる人が海外に行って伸びる。

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● 写真中央やや左の正方形のマンションが我が家。手前が税関。

税関のこっちら側はイタリア。ある意味スイスらしくない、流通の街。

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●室内と、ある日の晩御飯。部屋は結構快適でした。

 

さて、所属したチームは隣町にあるVELO CLUB MENDRISIO、去年とさらに

今年もツールド北海道に参加している、歴史ある名門チーム。

各地にある地域のアマチームではあるけど、たくさんのプロ選手を輩出し、

またそれに続く次世代のプロ候補選手から少年までが登録しているチーム。

 

スイスに着いて2週間ぐらいで、まだスイスにさえ慣れていないのに、スペインの

マヨルカ島での春合宿へ。これは、チームの合宿でなく日本選手有志の合宿。

メンバーはKing三浦さん、現マトリックス監督安原さん、大門さん、

単独ドイツで走っていたS野さん、そして私。解る人にはわかるとっても濃い面子。

私以外のメンバーで全日本と付く大会を合計10回以上は勝ってると思う。

一旦私のマンションに集合して、S野さん所有のベンツでスイスを抜けアウトバーン

ドイツのニュルンベルグへ行き、ニュルンベルグから飛行機でマヨルカへ。

マヨルカは、ドイツのリタイアした人がが集う避寒地。

地中海性気候で暖かく、晴天の日が多いので、多くのプロ選手が春の合宿地として利用している。

ここでの、合宿はかなり走り込みをしたので、この月の走行距離は5,000キロ近く!にもなった。

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●左が私で右は大門さん。当時はノーヘルが当たり前。右側通行です。

 

マヨルカ合宿からスイスに帰り、3月ぐらいから徐々に試合が始まる。

スイス車連のレースはまだ寒い3月は南部にあり比較的暖かい

我々の地Ticino州を中心に始まり徐々に北の開催が増えてくる。

スイスと日本のレースの違いはやはり積極性と密度感。

スピードはもちろん速いが、変化が激しくツキイチは自滅への道。

常に前を意識して、前に上がっていかないと、気が付けば周りは

前に上がれない屍の集団と化している。そしてタイムアウト

私の走っていたカテゴリーはDirettante、上にEliteが有るので2番目のクラス。

Direttanteは日本のPクラスかやや上のレベル。Eliteはプロの卵とかプロから

下がった選手がいるので、もうプロの下クラスのレベルだと思う。

しばらくは、春先の寒さで風邪をひいたり、レースに慣れなくて

苦戦したのを覚えている。