自転車との出会い プロ・アマオープン前篇
’90年 日本で初めての世界選手権が宇都宮市で開催された。
現在は自転車に乗って、それなりのチームで走り、機材サポートでも受けていれば
それをプロと呼ぶようだが、’88年時点ではプロとアマの間には大きな壁があた。
世界選手権もプロとアマは完全に分かれていたし、プロはオリンピックに出ることはできなかった。
世界選手権開催国になる、当時の日本国内にはプロと呼べるのは競輪選手だけだった。
私の知る限り88年時点、海外で市川さんがプロチームで走っており、日本人唯一の
プロロードレーサーだったと思う(漏れがあったらすいません)。
日本プロフェッショナル自転車競技連盟(のちにアマ車連・プロ車連が合併し、
「財団法人日本自転車競技連盟 (JCF)」となる)はプロロードを走る選手が
(競輪選手しか)いないので、アマの有力選手からプロロードレーサーを発掘しプロ化すべく、
おそらく日本の自転車競技の歴史の中で、かってない競輪選手とトップアマの
混合ロードレースが開かれた。
前々年の実業団や全日本選手権の成績を評価していただき、
私にもプロ車連から招待状が来た。
アマ出場は16名、プロは44名。
場所は群馬CSC、距離は210K
この距離はプロロード経験者でなければロードレースで走る距離ではなくて、
招待からレースまで時間があまりなかったが、試合までの間、一生懸命に
走り込みをした記憶がある。
そして、4月19日。
サバイバルレースが始まった。