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自転車競技との出会い 自転車浪人期

高校生だったあのころの憧れがサンツアーの先輩の方々。

白を基調にブルーのライン、個性的な人格に抜群の競技力。

もう、自分の生きていく世界はこれしかないと思った。

サンツアーだけでなく、チームを持っている自転車関連企業へ就職活動をしたが、

就職難の時代であったことと、学校の自転車競技部でなく、クラブチームでの活動を

していたので、企業へのアピールが弱く、なんと自転車競技浪人となってしまった。

 

今思えば結構、糸の切れた凧状態ではあるが、そこは若造の浅はかさで、落ち込むことなく、

自転車の練習をしたり、某自転車大手量販店のバイトをしたり快適に過ごしていた。

親も親で特に何も言わなかったな。どういうつもりだったんだろう。

練習時間はふんだんにあり、いくらでも練習できる環境であったし、選手として就職するには

成績を残すことが必須であることぐらいは、認識していたので、自分なりに一生懸命練習を

していた・・・つもりだった。

当時、アンダー23みたいな制度はなく、高校でたら成年と同じカテゴリーなので、ますます

入賞が難しくなり、成績は出ず自転車浪人生活2年が経過した。

 

流石に、このままでは駄目だと思うようになり、クラブチームの先輩の紹介でETの空飛ぶ

自転車を作っていた桑原輪業へ就職することになった。

このころになると、実業団選手(プロ)への憧れは日々の生活と妥協に流され・・・

”自転車関連の企業なら、試合で会社休むのも理解してもらえるかな”という次元の

低いものへ変化していた。

妥協の果て流されるように就職した、桑原輪業。

ここは実は虎の穴であり、私の人生を急激に変えていく。