自転車との出会い サンツアー1年目
2年間と決めて始めた、サンツアーでのレース生活。
一年目の89年、春先は秋冬の走り込みが出来ていないことによる
地脚不足で苦しんだ。
何とか調整して出場したプロ・アマオープンでは8位。
しかし、その後は順調でなく、西日本実業団で6位、
全日本実業団棚倉で7位に沈む。
もうこの頃は、下位着をいくら重ねても何の喜びも感じない。
初めての入賞なら・・・下から這い上がりまさかの入賞なら
喜びにあふれるが、もう目標はそこにない。
入賞すれば取り敢えず職場へ結果報告しやすいという感情と
下位着に落胆した気持ちが交錯するのみ。
『サンツアーの春合宿(松本のバンクで)』
『三田ウッディタウンでのチームTT(100㎞だったと思う)、前は上阪さん。
むこうにアラヤチーム。
先頭は泣く子も黙る鉄沢さん、2番手は同い年の良きライバルで後年、
近畿チャンピオンになる園田』
シーズンで一番大事な、全日本選手権は前年の成績がスイスへ行ってた
為に無いので、出場出来なかった。
今であれば、車連推薦枠で出られるようだが、当時、全日本選手権に関しては
参加基準は厳格だった。
この時点で、世界選手権への可能性がほぼ無くなる。
可能性があるとすれば、世界選手権の直前に行われる、
世界選手権と同じコースの全日本選手権で上位入賞をすること。
前年実績が無いのなら、3位までに入らなければならない。
これが自分にとって非常に難しいことは、プロとして毎日練習し、
レースに出ていればわかる。
レースに出ている以上、誰にも優勝の可能性はあるという
言い方もあるが、実際はそうではない。
実力はあるが勝ち方を知らなかった選手が周りから見るとフロックと
思われる勝ち方をすることはあっても、実力の無い選手が
フロックで勝てる世界ではない。
全日本選手権の上位と言うのはそういう位置付け。
少ない可能性であっても、最後の挑戦。
覚悟をもって挑んだ90年のシーズン。