不調期と心の靱性

 

今年は、例年に比べて調子の浮き沈みが

少ないので喜んでいたのだが、そうは問屋が卸さない。

こっちが忘れていても必ずやってくるのが、

税金の納付書と不調期だ。

 

絶対来るなら、来た時の対処法が重要だ。

戦う・・・不調は無視してとにかく走る。

逃げる・・・練習を休むか、強度を落とす。

大きくはこの二つかな。

 

しかし、その前に何故に走れないのかは分析したい。

練習していないから走れないのは当たり前として、

練習しているのに、疲れもないはずなのに走れないのは

なぜなのか?

 

栄養補給が間違っているから、回復ができない?

休養の取り方が悪い?

睡眠が適切でない?

距離、強度が過大で肉体の成長と同調していない?

 

原因は色々で、実は私も完全にはコントロールできない。

ただ、自転車に乗らず普通に生活していても、朝起きて

”今日はなんか怠いな”と思うことも有る訳で、調子の浮き沈みが

あってこそ人間で、ツールでポデュウムに乗る選手たちは

3週間ほぼ失敗せずに走り続けていることを考えると、

あまりにも驚異的であり、サイボーグ的だ。

 

靱性と言う言葉が有る。

工業の世界で材料が折れにくく、しなやかな事を言う。

工業系に明るくない人はイメージしにくいかもしれないが、

フレームや部品、工具などの材料はいたずらに硬い方が良い訳ではない。

一般に硬くすれば硬くするほど、靱性が失われ折れやすくなる。

 

フレームは適度なしなりがあるから、筋力を有効に道路に伝える。

投げ釣りで、遠くまで仕掛けを投げられるのも竿がしなるからだ。

工具でもあまり堅さを出すと、折れたり欠けたりしてしまう。

 

しなやかさって大事だなと、この歳になってつくづく思う。

頑固一徹でやれるのは勢いが有り、つまづかないうちだけ。

長く競技・・・人生をやっていると、頑張りだけでは解決できない事が

必ず出てくる。

その時に、心のしなやかさが無いと、心が折れる

 

結果が出なくても、調子が悪くても投げ出さず、

ポジティブに捉え少しずつ改善していく。

不調期には絶対的に威力を発揮するはずだ。

 

実は私も性格的にしなやかさが不足しているのを自覚している。

もう少し、柔軟ものごとを考え実行できないかと思っている。

解っていてもできないのが自分の事だ。

 

明日も走る。

眠くても起きて走る。

そこは柔軟には考えられない。

内容はともあれ、外には出る。

シーズンはもう少しで終わる。

頑張ろう。

 

練習に伴う周辺作業

 

相当長い間更新をさぼってしまった。

基本的にマルチタスクに耐える能力がなく、

仕事で追い込まれると、他の事が停滞してしまう。

自転車の時間は何としても確保するので、

段々とブログの更新の時間が無くなるのだ。

 

特にドラマチックな人生を歩んではいないが、

日々生活していると色々な事が起こる。

それを一つづつ処理していく。

楽しかったり、悲しかったり、怒りを感じたりだ。

たとえ悲しくとも、怒りを感じても進めなければ

いけない案件は、進めなくてはいけない。

眼をそらして、棚上げしてみても人間の身体とは違い

自己回復はしないし、むしろ時間の経過と共に悪化する。

やるしかないのだ。

 

自転車の練習は継続性が大事。

いかに密度が濃く、内容が充実した練習であっても、

週末だけの練習で強くはなれない。

回復はもちろん重要だが、回復したら速やかに次の練習へ

繋げていかなくてはならない。

 

スポーツマンと言う観点でなく人間を一生物として見た時、

不必要な筋肉は基礎代謝を高めてしまい、生きるための必要最低限の

摂取カローリーのハードルが上がってしまう。

つまり、餓死の危険性が高まる。

人が原始人だった時代は、餓死はいつも生活のそばにあったはずで、

無駄な動きはせず、食べるとき以外は動かず、カロリーの消費を押さえ、

脂肪を貯めこむのは自然の摂理で、現代のスポーツマンが作り上げた

体脂肪率が極めて低い、マッスルボディは極限状態で生き残るのには

難しい体なのかもしれない。

故に、練習を止めると体はすぐに元に戻り、体脂肪率は一気に上がるが、

それは自然の摂理であり、正しい体の恒常性なのかもしれない。

 

生物的に普通でない状態を維持し続けるには不断の努力が必要になる。

そして、それに伴う周辺作業も必要となる。

それは、良質な食事、マッサージ、サプリ、睡眠などだ。

練習のやりっぱなしでは一時的に強くなっても長続きはしない。

どこのチームにも急に強くなり急に消えていく人がいる。

素質を感じさせ未来を嘱望されたのに。

理由は様々だが、周辺作業をうまくこなせているだろうか。

 

練習に伴う周辺作業をスムーズにこなせるようになるには

ある程度の年齢に達しないと難しいのかもしれない。

若いと言う事は体力が有り、回復力が強いので、周辺作業が

スムーズでなくても勢いで行ってしまう事が有るが、

キャリアと共にその辺りも磨いて行かないと、次のステップへ

進むことは難しいと思う。

 

どこまで自転車競技を生活の中心とするか、どこまで強くなる事を

追い求めるかは人それぞれだが、自分の能力がどこまで通用するのか、

究極の世界とはどういうものなのか、それを垣間見たいと願うなら

少しずつ階段を上って行かなければならない。

 

誰もが努力すればチャンピオンに成れる訳ではない。

今更そんな幻想を押しつけはしない。

だが、究極の自分を求める過程にこそ重要な意味が有る。

プロでない競技者なら尚更だ。

 

競技をやっているこのブログの読者はこの冬を有意義に過ごし

来シーズンは(も)究極の自分探しをして欲しいと願う。

 

 

切れ味鋭い刃物より鉈が良い。

 

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。

最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」

ダーウィン ダーウィンの著書には上記の記述が無く、後の創作とも言われている

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究極の鋸に見る精度感

 

ストラディバリは300年以上前のイタリアの弦楽器製作者。

彼の作品ストラディバリウスと言えばは誰でも知ってるだろう。

その最高峰と言われる音色を手に入れるには少なくとも

億の単位の資金が必要となるようだ。

オーケストラと聞くと眠くなる私のようなタイプには無縁だが。

 

先日何気なくTVを見ていると、ストラディバリウスを修理する

イタリアの工房で日本の鋸(のこぎり)が使われていることを知る。

億単位の物を加工する訳だから、職人は道具に拘る。

切れない道具、使いにくい道具では直すどころか別の部分を

壊してしまうことも有るだろう。

 

その鋸は新潟県長岡市中長鋸製販で制作されている。

イタリアの職人に、これが無いと仕事ができないと思わせる

超極薄の刃は0.25㎜で、新聞紙にして3枚分の厚さだ。

 

TVではストラディバリウスに、極薄歯の鋸を入れるシーンが

写っていたが、相手は億単位の貴重な楽器だ、相当な緊張が

伝わってきた。失敗は許されない。

職人が最高の道具を求めるのは当然の事だ。

 

鋸の制作場面も放映された。

何年たっても新品同様の切れ味を維持するとイタリア職人に

言わせしめる鋸は、もとは鉄の板だ。

鉄の板を焼いたり、急激に冷やしたり、歯を立てたりし

相当な時間と技術をつぎ込み、仕上げられる。

美しくも機能的な道具。

素晴らしい精度感だ。

精度感…

 

精度感を高めている。自転車の話しだ。

精度感と言う言葉の使い方が、合っているのか

間違っているのかは置いておいて欲しい。

心の中に出てきた表現だ。

 

自転車競技においての精度感とは何を示すのか?

それは、走り方、機材、食事、練習方法、考え方・・・

自転車競技に係る全て。

 

とっても残念で嬉しい事に今月50歳になる。

無事ここまで生きてこられたことに感謝だ。

感謝はするが、一競技者として考えれば年齢は残酷だ。

年々ベースは落ちて行き、疲労は蓄積する。

前年と同じだけ走れると言う事は、強くなると言う事。

普通にやれば年々弱くなる。

 

精度感を高める。

若いときはただ走ってるだけで強くなる。

歳をとればただ走っていれば疲れるだけ。

時間だって若者の様には無い。

限られた時間、限られた体力の中で如何にして

強くなるか・・・

 

自分に何が必要か、どんな練習が必要かを常に考える。

睡眠時間の確保、食事の検討。

ウエイトコントロール。サプリの摂取。

適切な機材を選び、適切な試合に出場する。

試合での走行位置や走りのマネジメント。

何度もアタックし、数撃てば当たると言うような

走りは、憧れはしても絶対できない。

 

ありとあらゆる、成績に関連する事の精度を高める。

色々と失敗したり、故障したり、効果の薄い練習を

している体力も時間もない。

極端に言えば、試合に向けて取る行動の全てが

表彰台の方向を正確に向いているイメージだ。

 

今の私の状況は刃物に例えれば、研ぎの段階だ。

もう、根本的には強くはならない。

絶対的な強さは20代がピークだ。

しかし、全ての精度を上げて戦えばもう少し頑張れるだろう。

 

精度感を上げて明日も朝練。

共に走る選手なら何かを吸収できるはずだ。

自転車競技者の「脚は口ほどにものをいう」はずだから。

 

クレーム対応と自転車競技

 

先日、このブログへのアクセスに問題が有ったようだ。

なんだか、技術的なことは解らないが、外部からの攻撃らしい。

何かと攻撃的な話が多い世の中だな。

 

仕事で管理業務を受託しているのだが、内容的にトラブルの

後始末が多い。

当然、ほとんどの場合、当事者は不満や怒りを持っているので、

その対応は結構シビアだ。

それが大問題に発展するか、軟着陸するかの境界線はどこにあるのか。

 

その境界線は多くの場合、何も問題の起こっていない時の

普段の付き合い、人間関係にあると思う。

良い人間関係が普段から構築されていれば、大問題にならず、

問題は収束することがほとんどだ。

 

次に初期対応は大事。

初期の対応が悪く、後手後手に回ると、それがずっと尾を引いて

修正が効かず、最後まで苦労をする。

 

結局は常に前向きでスピーディな対応を心がけるってところだ。

言わば、当たり前な結論だが、これが出来るようでなかなか出来ない。

先人が私達を戒め、正しい道に導く為に、多くの格言を残している。

 

いや、実は格言を残した本人でさえ、流される自分がいて

それを、自ら戒める為に、あえて言葉にしたのではないだろうか。

偉人であっても、流されがちなのが人生だと思う。

ましてや、私などは木の葉のように流される。

 

今日も朝練を走った。

日曜日にしっかり走り、復調の兆しが見えたのだが、

月曜を休んでもまだ疲労を感じ、うまく走れない。

当然タイムもイマイチでテンションは下がる。

 

でも、一喜一憂はしない。

良いときが有れば、悪い時もある。

試合を良い調子で走れればそれでいい。

積み重ねていれば、いずれ必ず形になる。

そんな境地に至るまではかなりの時間を要したが。

 

前向きでスピーディな対応は競技にもつながる。

積み重ねることを前向きに捉え、状況に合わせ

練習内容や、生活改善をしていく。

 

感じ、考え、実行する。

決めたら、変えない。

やり続ける。

でも変える必要を感じたらすぐ変える。

スピード感。

そんな頑固さと共存する柔軟性が必要とされている。

 

さて、明日も朝練。

どれぐらい走れるだろうか。

幾つになっても、ワクワクするな。

 

水虫ではないけどね

 

隔靴掻痒 なんて仰々しい言葉だ。

私が初めてこの言葉を知ったのは筒井康隆

小説だったと思う。

 

読み方は「かっかそうよう」だ。

ネットで調べれば「痒いところに手が届かないように、はがゆくもどかしいこと。

思うようにいかず、じれったいこと。物事の核心や急所に触れず、もどかしいこと。」

そんな風に書いてある。

隔・・・隔てられた 靴・・・靴(の上から) 掻・・・かく 痒・・・かゆみ

ネットの説明より、「足がかゆいのに、靴の上からしか掻けない状態」と言えば

どれだけ、イラっと来る状況か理解できると言うものだ。

 

連休は9日間のうち8日間は乗った。

ローラーが3日実走が5日、5日間の内で雨に降られなかった日は無かった。

何故だか、家を出るときは降ってないんだな。

走り出してそこそこ遠い所まで行くと降り出すと言う意地悪。

すごい盆休みだったな。

 

昨日と今日は定例の朝練。

ゲストにも来て頂き、楽しくオールアウトさせてもらっている。

昨日の事だが、朝練で練習が終わり山を下ってきて、平地なので変速をした。

したつもりが、変速しない・・・。

レバータッチのイマイチの電動なので、シフトミスかなと思い、今度は強く。

無反応・・・だめだ。

 

電気製品は調子の悪いときは叩けと親に教わったので?

クリートを外し踵でリヤメカに蹴りを入れるが、うんともすんとも言わない。

家までにもう坂は無いので、あきらめて固定ギアで帰り、

車に積んでシルベスト梅田店まで持ち込む。

亀きっちゃんが対応してくれた。

 

まずテスターで断線でも調べるのかと思ってたが、そんな原始的な事はしない。

おもむろにコードを取り出しターミナルにパソコンを接続し電気的に診断。

まるで電気機器の修理だ。

まあ、電気機器なんだけど。

 

結局、バッテリーの異常で、バッテリーの交換で無事修理は完了した。

念のため書いておくが、接続異常でなくバッテリー異常だ。

手際よく直してくれた亀きっちゃんには感謝だ。が・・・

それとは別に、少々納得がいかない。

 

まず、自分は部品はレースの機材と捉えてる、だから機材としての

安定感を重視している。

2,3ヶ月前に購入したバッテリーが異常になってどうする。

レースならサポートカーを従えてない私たちはレース終了だ。

 

もう一点の納得いかない事・・・

電動は確かに便利だ。

オールアウト寸前の頂上からの下りで

ピッと押せば、すっとアウターにかかる。

でも、変速機の調子の悪いのぐらい自分で治したい。

 

今回自分でできたことは、バッテリーモニターが点灯するか

確認した事と蹴りを入れた事。

故障個所の断定すらできなかった。

もどかしい。

 

隔靴掻痒

自分の足ぐらい自分で掻きたい。

直接掻きたい

原因部分を直接掻くと、それは気持ちがいいものだ。

 

今調べると、自分の持ってる充電器でもパソコン接続が出来るようだ。

変速機のワイヤー交換をして、シャキッと動くディレイラーに悦に入る。

そろそろ、そんな感覚の自分をアップデートしないといけない時が来たのかな。

自転車も難しくなったもんだ。

 

自転車はエコなのか?

 

エコの話しはいつも疑って聞いている。

エコの話はまやかし、嘘が多い。

特に企業が言うエコは、眉唾物が多い。

要らない電気は消しましょう。

出されたものは残さず食べる。

華美な事はせず、質素、シンプルに生きる。

そんな、ごく普通の暮らしから発するエコが良い。

エコの基本は無駄な事をしないと言う常識的な感覚だと思う。

 

自転車ってエコの代名詞みたいに言われるが、

部品の製造、フレームの製造には相当環境に負荷が

かかっているのは間違いない。

それは自転車だけでなく、冷蔵庫やテレビに代表される

家電はもちろん、住宅、車、道路まで自然界に無いものを

作れば環境に負荷がかかる。

現代人が普通に、ごく普通に生活すればそれは地球にとっては

優しくない事と言う結論になるが、そこに完全な解決法は無く

個々が出来る事を自然に、無理の無い程度に意識し実行すれば

良いのだと思う。

 

『お前ら道路にエネルギーまき散らしやがって(笑)』

競技を上がった先輩競技者に言われた言葉。

始め何のことを言っているのか解らなかった。

つまり、選手時代の事だから、とにかくよく食べる。

若さに任せて食べまくる。

朝になれば道路を走り回ってエネルギーを使いまくる。

走れば腹が減る。

そして食いまくる。大量に。

 

その先輩からはよく食事をごちそうになった。

おごる立場からしたら、そんな感覚がしっくりきたのだろう。

せっかく、御馳走したのに、練習してガリガリになり・・・

 

今はやりの、パワートレーニングなんか、そのことを数値化している。

10分300Wとか、1時間200Wとか。

実走なら気分転換の要素もあるが、ローラーなんて

1ミリも進まないのに、カロリーをひたすら浪費する。

表面的には、生産性ゼロの行い。

これはとてつもなく反エコなのではないかと、

汗にまみれながら、ローラーの上で考える。

 

そもそも世界規模で見れば食べること自体が難しい人が大勢いる。

もちろん飢餓で死んでいく人々も。

そう考えると、生きるためにするのではないスポーツは、とても贅沢な

行いだ。

 

反エコだから自転車・・・スポーツは止めようと言う話ではない。

現代人の健康で文化的な生活は環境に負荷をかける事を理解し

自転車競技やサイクリングを楽しめばいいのだと思う。

 

そして、手に入れた健康な体と、フレッシュな頭脳で仕事や生活をし、

出来る範囲で社会に貢献をすれば良いのではないだろうか。

 

盆休みは三重県の山中で個人合宿の予定だ。

素晴らしい練習環境に感謝しながら、道路にエネルギーを

まき散らす予定だ。

練習後の地物の野菜がうまいだろうな。